昨夜放送の「昭和の真相~1989年つづく。で終わる物語」を見ての感想。
日本が戦争から高度成長期を向かえ平成へと変わっていく時代の中で、人々の心の変化が見えてくる番組だった。
戦後、貧しさから「とにかく生きる」事で必死だった時代に育った子供たちが、大きくなるにつれ、みんなが幸せになる国(社会)を作りたいと思うようになった。そんな中から松下電器の創設者 松下幸之助のような人が日本社会を育てた。松下は「水道哲学」という考えを持ち、湯水のごとく生産すればコストを下げられたくさんの人が安く良い製品を手にできる、そこに幸せを感じてもらいたいと考えた。その後、いまのショッピングセンターの原点となるダイエーの創業者 中内 功が現れる。彼も角度は違うが、同じように商品を安く売れば庶民が潤うと考えた。両者は対立こそしたが、登る山は同じに感じた。どちらも「みんなが幸せに」という想いからだ。そう、このころ金儲けよりもむしろ、誰かのため、他がために一生懸命だった。あの貧しい暮らしから抜け出したいとみんなが思っていた。みんなが一生懸命だった。
その後、高度成長期を向かえバブルへ。一般庶民の三種の神器と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が当たり前な時代に生まれた貧しさとは無縁な子供たちが大きくなり、会社に入ったころから誰も気が付かないまま日本が少しずつ方向転換を始めていた。他がために働いてきた人はもういない。誰かのために働かなくても良い時代になった。物にも金にも困らない時代。そう、みんなが望んだ時代に・・・。
平成に入り、人々の心から少しずつモラルが消えて行った。昭和初期から夢にまで描いた時代を向かえ、なおも人々の欲は納まらなかった。きっと戦後の人たちは満足していただろうけど、その子供、そしてその子供とその時代時代を「あたりまえ」として生まれ育った人がさらに次の欲を呼んだんだろう。あれが欲しいこれが欲しい。金が欲しい。最後に行き着いたのは「結局、金でしょ」。他がために働くいた事の無い者たちは何のために働いたのか?金のためだ。そしてその金は自分のため。
ところが神のいたずらかそんな日本から「金」を奪った。日本経済は砂の城だった。引き潮でいまだ波を受けたこと無い城。昭和から平成に変わり、気が付けば潮は満ちていた。波を受けた砂の城は土台から崩れ、一気に崩壊する。働くことに意欲の無い者達の集まりじゃどうにもならない。戦後、あれだけ生きたいと思っていたのに、バブル崩壊後、自ら「死」を選ぶ者が多くいた。会社の経営でいきずまった大人だけじゃなく、いじめや人とうまく付き合えない、生きる意味がわからないという子供達。そして他人の命まで簡単に奪うようになる。命の尊さを教えなかっただけじゃなく、そう感じることができない時代になっていた。人を打つ、車で引くようなゲームが普通に売られたり。インターネットで殺害の瞬間が流れたり。
それはなぜか?個人主義の「自分がよければ良い」という考えが蔓延しているからだ。モラルやマナーを捨てたんだ。ただひたすらに商品が売れれば良いとしか考えてないとか、騒音おばさん、気に入らない隣人を猟銃で撃ち殺す爺さん、面識も無い好きになった女を殺す男。
堀えもんが良い例で、彼はただひたすらに自分のために会社を大きくした。モラルやマナーを全て無視し、強引に突き進み、最終的に部下を裏切り、裏切られた。
まさに平成の象徴だ、若者からの支持は最後まで高かった。彼はTBSを買収しようとしたとき、ルールは守っていたがモラルやマナーが無かった。最近こういう人が多い。
電車内で、大また開いて座ってる若い衆、ヘッドホンでガンガン音楽を聴いてる人、化粧する人、などなど。ルールにはやっちゃいけないとは無いが、モラルやマナーを考えて欲しい。
人々は豊かさとともにモラルやマナーを失ったと感じる。モラルやマナーが無くなったことでルールすら崩壊しかけているところがある。そういうところが自分自身にも感じる部分がある。今感じる部分だけでもモラルやマナーは捨てないように努力しよう。
日本が戦争から高度成長期を向かえ平成へと変わっていく時代の中で、人々の心の変化が見えてくる番組だった。
戦後、貧しさから「とにかく生きる」事で必死だった時代に育った子供たちが、大きくなるにつれ、みんなが幸せになる国(社会)を作りたいと思うようになった。そんな中から松下電器の創設者 松下幸之助のような人が日本社会を育てた。松下は「水道哲学」という考えを持ち、湯水のごとく生産すればコストを下げられたくさんの人が安く良い製品を手にできる、そこに幸せを感じてもらいたいと考えた。その後、いまのショッピングセンターの原点となるダイエーの創業者 中内 功が現れる。彼も角度は違うが、同じように商品を安く売れば庶民が潤うと考えた。両者は対立こそしたが、登る山は同じに感じた。どちらも「みんなが幸せに」という想いからだ。そう、このころ金儲けよりもむしろ、誰かのため、他がために一生懸命だった。あの貧しい暮らしから抜け出したいとみんなが思っていた。みんなが一生懸命だった。
その後、高度成長期を向かえバブルへ。一般庶民の三種の神器と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が当たり前な時代に生まれた貧しさとは無縁な子供たちが大きくなり、会社に入ったころから誰も気が付かないまま日本が少しずつ方向転換を始めていた。他がために働いてきた人はもういない。誰かのために働かなくても良い時代になった。物にも金にも困らない時代。そう、みんなが望んだ時代に・・・。
平成に入り、人々の心から少しずつモラルが消えて行った。昭和初期から夢にまで描いた時代を向かえ、なおも人々の欲は納まらなかった。きっと戦後の人たちは満足していただろうけど、その子供、そしてその子供とその時代時代を「あたりまえ」として生まれ育った人がさらに次の欲を呼んだんだろう。あれが欲しいこれが欲しい。金が欲しい。最後に行き着いたのは「結局、金でしょ」。他がために働くいた事の無い者たちは何のために働いたのか?金のためだ。そしてその金は自分のため。
ところが神のいたずらかそんな日本から「金」を奪った。日本経済は砂の城だった。引き潮でいまだ波を受けたこと無い城。昭和から平成に変わり、気が付けば潮は満ちていた。波を受けた砂の城は土台から崩れ、一気に崩壊する。働くことに意欲の無い者達の集まりじゃどうにもならない。戦後、あれだけ生きたいと思っていたのに、バブル崩壊後、自ら「死」を選ぶ者が多くいた。会社の経営でいきずまった大人だけじゃなく、いじめや人とうまく付き合えない、生きる意味がわからないという子供達。そして他人の命まで簡単に奪うようになる。命の尊さを教えなかっただけじゃなく、そう感じることができない時代になっていた。人を打つ、車で引くようなゲームが普通に売られたり。インターネットで殺害の瞬間が流れたり。
それはなぜか?個人主義の「自分がよければ良い」という考えが蔓延しているからだ。モラルやマナーを捨てたんだ。ただひたすらに商品が売れれば良いとしか考えてないとか、騒音おばさん、気に入らない隣人を猟銃で撃ち殺す爺さん、面識も無い好きになった女を殺す男。
堀えもんが良い例で、彼はただひたすらに自分のために会社を大きくした。モラルやマナーを全て無視し、強引に突き進み、最終的に部下を裏切り、裏切られた。
まさに平成の象徴だ、若者からの支持は最後まで高かった。彼はTBSを買収しようとしたとき、ルールは守っていたがモラルやマナーが無かった。最近こういう人が多い。
電車内で、大また開いて座ってる若い衆、ヘッドホンでガンガン音楽を聴いてる人、化粧する人、などなど。ルールにはやっちゃいけないとは無いが、モラルやマナーを考えて欲しい。
人々は豊かさとともにモラルやマナーを失ったと感じる。モラルやマナーが無くなったことでルールすら崩壊しかけているところがある。そういうところが自分自身にも感じる部分がある。今感じる部分だけでもモラルやマナーは捨てないように努力しよう。